トマトの味
トマトには特別な思いがある。生まれた家のそばに八百屋さんがあったこともあり、物心ついた頃、毎日トマトを食べていた。八百屋さんの籠に盛られたトマトは食べて良いものだと思っていた。母の計らいだった。夕方になるとテクテク歩いて店に行って、大きなやつを探して思いっきりかぶりついた。ちょっと甘酸っぱくて、何とも言えない美味しさが口いっぱいにひろがった。そんな私を八百屋のおばちゃんはいつも嬉しそうに見ていた。
大人になってトマトを食べる回数は減ったが、出張で美味しそうなトマトを見つけるとついつい買ってしまう。美味しいものはたくさんあるが、あの頃と同じ味のトマトに出会ったことがない。高級で希少なトマト、形に特徴があるトマト、ちょっと変わった色のトマトなど数え切れないぐらいのトマトを食べたが駄目だった。
美味しいだけではなく、心がほんわかとして安心できる味、幸せな気持ちになれる味。ちょっと待てよ。この感じ何かに似ている。仕事で疲れて家に帰った時、「お帰り」といって家内がつくる晩御飯を食べたときのあの感じだ。仕事が忙しくてあまりかまってくれなかった母が、八百屋さんの前で手にとって「ごめんね」と言って食べさせてくれた不思議な食べ物、それがトマトだった。今日は風が強くてやけに寒い。あの頃のトマトの味を思い出しながら家内の晩御飯をいただこう。